250tクレーンや弓張岳,手前の自衛隊の船。佐世保の風景がぎゅっと詰まった一枚です。
佐世保から出て行く船は,ほとんどがここから出航します。この裏に最近新ターミナルができました。右手奥には,かなり長い岸壁があり,大型客船も接岸できるようにとの計画のもと整備が進められています。
かつて軍港として栄えた佐世保は,敗戦後米軍に占領された間,アジア方面へ展開するための重要な基地の一つとして機能してきました。その後,海上自衛隊の基地も置かれました。
リアス式海岸による天然の複雑な海岸線。入り口が狭く奥が深いという防衛上有利な立地など諸々の条件が揃っている佐世保は,現在も重要戦略拠点となっているようです。
その例が,防衛の要イージス艦の配置です。アジアの軍事的な脅威国にアンテナを張り巡らしておくために,早い段階からイージス艦が配置されました。米軍基地も併せ持つ佐世保は,非常にねらわれやすい都市の一つなんだろうなぁ・・・ ハコスカの上に落ちる前に,ばっちり迎撃して欲しいものです。
佐世保港の入り口にちょこんと浮かぶこの小さな島は,「一里島(いちりじま)」と呼ばれています。
九十九島に伝わる伝説の中に,島々が佐世保の街に夜な夜な上陸して飲み歩き,次の日の朝には元の場所へ戻るみたいな話がありました。その中で,この一里島くんだけは,ある日飲み過ぎて,九十九島本来の場所まで戻ることができないまま朝を迎えてしまい,朝日が昇ったこの場所から動けなくなった(だったっけ?)という話があります。
確かに,小島が多い九十九島の一つが,運んでこられたような雰囲気です。
夜は,島にある灯台が点滅して航行する船の安全を見守っています。この島から奥が佐世保港の入り口で,入ってくる大型船はそろそろ速度を落としはじめる地点です。
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グラフィティーのページでよく撮影所にしている「前畑」の岸壁です。右下に,長ーい石造り倉庫が見えます。マウスを置いて出る写真の左隅に,この一里島が写っています。逆サイドから撮る日が来るとは,思っていなかったなぁ・・・
港湾施設以外では,ほとんどの海岸線を自衛隊と米軍基地で住み分けています。佐世保港を出てしばらく経つと,両岸に米軍基地関連施設が見られます。写真は,給油施設の一部です。米軍が使う場所には,必ず星条旗があがっているのですぐにわかります。海岸沿いでハコスカの写真を撮ろうと,あちらこちらロケハンして回りましたが,多くの場所が例の立ち入り禁止の看板が出ていて入ることができませんでした。この付近もそうです。佐世保の港を向こうに見て,いい写真が撮れそうだと期待して走り回っていたのでちょっと残念なり。安全保障の面からやむを得無しか・・・
入り組んだ地形に合わせて,佐世保港を出る船は何度か大きく舵を切りながら進みます。はじめは左に,次は右に・・・ そのとき後ろを振り返ると,佐世保市街はすでに小さくなり始めます。
逆に佐世保へ戻ってくるときには,この風景が見えると,しみじみ戻ってきたぁと実感します。夜に着く船で来たときには,暗闇の中に無数の街明かりが見えてウキウキしてきます。この写真で写っている地域は,私の母校があった所なので,特別な思いでこの風景を見つめるのです。
フェリーの後方甲板に乗っていると,スクリューが描く航跡が見えます。大きなフェリーも意外ときりきりと船首の向きを変え進んでいきます。
米軍施設には,危なそうなものもあります。多くの弾薬が保管されている場所もあります。山の麓にトンネル状に掘りあけた場所に貯蔵しているところもあります。ここに弾薬を運んでくるときには,ぴりぴりとした緊張感とともにトラックがゲートを入っていきます。写真の施設は,避雷針かアンテナみたいなものが何本も立っており,周りを小高い土手でガードされています。左下の白いかまぼこ状の物は,有事の際の避難壕でしょうか・・・ いざというときに備えるのは思ったより大変です。
佐世保湾には一里島があることからわかるように,水深はあまり深くない所があります。そのため湾のあちらこちらに標識ブイが浮かんでいます。大型のフェリーはその標識に従って進んでいきます。これを無視してアウトインアウトなどをやっちゃうと,思いっきり座礁してしまうことになるんでしょうね。小型の漁船や身軽な高速船などは,ブイの右であろうが左であろうが近いところからグイグイ進んでいきます。真っ暗な夜にはそれぞれブイの上に着いた灯火が点滅しますので,その間を進んでいけば大丈ぶいぶいです。