国さんとの遭遇

往年の名レーサー。しかも,今なお時々現役!ハコスカの達人。高橋国光さん。
 長崎県北松浦郡。生月島で開催されている旧車ミーティングに,スペシャルゲストとして招かれています。2003.11。前回以上に国さんにぐぐっと迫ることができる機会に恵まれました。
  全く未知なる,崇高な存在。「TEAMクニミツ総監督」高橋国光選手=国さんと過ごしたひとときをレポート。

第2回生月島旧車ミーティングのゲスト(大会名誉会長になっていただいている)として来島されていた高橋国光さん(=国さん)。昨年に引き続き,1日目のトークショー,2日目の島内ドライブに参加されました。2回目である今年は,昨年よりもさらに熱く語っていただいたのでした。
 世界の頂点に立つこともあったレベルまで達した国さんにしか語れないようなお話も聞くことができました。photo465.jpg
 惜しくも先日他界した加藤選手とのことや,私が質問してていねいに答えていただいたGTR50勝目のレースのことなど,筋書き通りで先が読めてしまう退屈なトークショーではない,ご本人を前にしてしか聞けないようなことが多くあった,充実の時間でした。
 ちなみに,50勝レースの時は,トップを争っていた都平選手とのバトルで,当日,高橋号と都平号とはタイヤチョイスが違い(タイヤの溝が微妙に違っていたらしい),直線で強い都平号。コーナーで強い高橋号。ハイドロと戦いながら滑るように走っていく直線で,何とかゼッケン15番,国さん号を引き離しても,S字あたりではその差を詰めてくるので,何とかコーナーでも踏ん張ろうとした都平号が,限界を超えてしまいコースアウト!その結果として,自分に優勝が舞い込んできた!
 といった話でしたが,そうでなくても12周の間に,2位以下のマシンをすべてラップしてしまうということは,異常ともいえる鬼のような走りがそこにはあったはずです。
 ロータリー勢が台頭してきたGTR末期,かなりの気合いと50勝という節目に向けての少なからぬ想いがあったのではないかと思いその質問をぶつけてみたわけですが,あっさりと『レースはいつも限りなく100%の力を車から引き出せるようにチャレンジしている。50勝の時も,特別なことは考えず,いつものように「車の力を100%出せるように走ろう」そう思って走っただけ。その結果がたまたま歴史的な記録になっただけです』といった答えをいただきました。
 半ば伝説となっている,あのレースなので,ちょっと拍子抜けする答えのような気もしましたが,国さんの「いつも100%をめざして」という姿勢がトークの端々から感じられ,別の説得力というか重みを持ってわたしに迫ってきました。
 レーサー高橋国光選手のすごさは,たまたま結果が伴った断片を切り取っても,常に伝説となりうるような本気の全身全霊をかけた走りを当然と思い,それを実行してしまうところにあるんじゃないかと感じました。
 人生「攻め」る姿勢がないと,そのときの自分自身の状態をよく把握することもできないし,次のステップへ向けて何をするべきかという課題も見えてこない。その領域まで一度でも足を踏み込むことができたもの同士は,言葉がなくとも分かり合える不思議なつながりを持つことができる。といった話もありました。人生哲学ともいえそうなその話。いくつになっても忘れてはいけないスピリッツだな,と改めて感じさせられました。
 トークの後はサイン会もあり,長蛇の列にも笑顔で対応され,一枚一枚手の込んだサインをかいて手渡してもらいました。
 色紙以外にも持ち物や服などに並んだ人それぞれが勝手なお願いを次々にしても,すべてのお願いを聞いてくれた国さん。本当にいい人です。

 2日目は,ジャンケン大会でジャンケンをした後,「国さんと島内ドライブ」というプログラムで,参加者とともに島内を走って回るというのにもつきあってもらいました。
そのときに,国さんといえばスカイラインということで,私の車に同乗していただくことになりました。
 助手席側のドアを開けてエスコートしようと立っていましたら,さっさと運転席側へ回られ,ご自分でハコスカを運転されることになりました。
 予定外のことでしたが,ワークスGTRを何度も優勝へ導いたあの手で,私の車を走らせてもらえるなんて最高の思い出です。しかも,助手席という特等席に座ることができる!!!
 座席を自分に合うように調整した後,いよいよスタートです。
 特別チューンしていないおとなしい私のエンジンも,国さんがアクセルをくれると,心なしかいつもより逞しいエギゾーストを奏でているような気がします。とりあえず,休憩地点まではほとんど上り坂。3速程度のギアでトルクバンドを保ったまま回りの風景を眺めながら,のんびりツーリングです。わずか10分程度時間でしたが,長ーいひとときに感じました。
 自分の車を国さんに運転してもらえるなんて,夢のような出来事ですが,できることなら,車を当時のワークスGTRに換えて,ブルーラインの15番のカラーリングにして,4点式ベルトで体を縛り付けて一般車両を封鎖してもらい,本気モードでちょっと走ってもらいたいな,などという妄想にも駆られてしまいました。
 走りながら,「マン島レースみたいに,生月の道を公道サーキットとしてレースを開催することができると面白いでしょうね。そうなるとしたら,大会名は当然「高橋国光杯!!」でしょう」などと話していたら,「ふふふ」と,答えてもらいました。半分冗談でもいいから,そんなイベントが実現するといいだろうな,と本気で期待してしまうのでした。

 あっという間に,目的地に着いてしまいました。(長い時間に感じたと書いてたのに。どっちじゃ?)運転していただいた記念に!?ボンネット裏に,直筆のサインを書いてもらいました。

くにさんサインの図ありがたきサイン 
いよいよもって,この車,一生手放せないものになってしまいました。

 できるだけこちらでのふれあいの時間をたくさんとれるようにと,最終便の飛行機を予約されてました。それまでの時間は,私の郷土,佐世保で時間を過ごしてもらいました。
 天気予報以上にいい天気で,夕方は雲一つない晴天でした。佐世保の町が見わたせる高台の喫茶店でコーヒーを一杯。「動き回るんで,甘いものを体がほしがるんです」といいながら,マロンケーキセットをぺろり。(ちなみに,空港レストランでは,パフェをぺろり)意外と甘党。
 そうとわかったら,次にこの地にいらしたときには,「蜂の家」のデカシュークリームか「さいかいどう」の山中さんちのシュークリームをご馳走せねば・・・
 佐世保で一番眺めがいい「弓張岳展望台」へ日没10分前に昇り,九十九島の向こう,平戸・生月島の近くに沈んでいく眺めをプレゼント。スモッグのないどこまでも見える空。東京タワーの展望室よりかなり高い山頂からのパノラマ。お住まいの東京でも,なかなか手に入らない風景にちょっと喜んでもらえたようでした。佐世保にいても,そう簡単に見ることができないぐらいの絶妙の天候で,きれいに焼ける空をバックに記念撮影。ずーずーしくも,ツーショットで一枚とってもらいました。photo464.jpg

 陽が沈んだら,空港をめざします。
 空港についても,時間があったので,空港レストランで一服。
 今回のイベントスタッフの皆さんに便乗して,私もお見送りに参加させてもらいました。
 ほとんど一日中,一緒に過ごさせてもらいました。ずっといると,国さんの気さくな人柄も手伝って,前から知っている近所の大先輩,みたいな感じに思えてきました。(失礼・・)
 その虚飾のおごりとは全く無縁の振る舞いは,一貫していました。商売のための営業スマイルとは一線を画す真心からの応対をしていただきました。搭乗ゲート入口でお別れをして,家路をたどりました。家へ帰って,国さんの復習をしようと,スカイライン関連の蔵書を開いたり,チームクニミツのHPを開けてみたりしました。
 ほんの数時間までいっしょにいた国さんが,やっぱりすごい人だったんだと改めて感じられました。(ローマの休日の最後の場面で,ヘップバーンをこっそり見送る新聞記者だった男性の心境?)しかも今となっては,ただの「すごい人」だけではなくなった国さん。
 この二日間のことは,わたしのスカイライン人生において,一生忘れることのできない時間になりました。国さん。ありがとうございました。ぜひまた来年もいらしてくださいね。

 
【後日追記】
とても残念なことに、高橋国光さんは、2022年3月、82歳でご逝去されました。心に残る思い出をありがとうございました。ご冥福をお祈りします。いただいたサインは、いつまでも残しておきます。

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