My cars historyG


 苦難のジャパンの日々が過ぎる頃,とにかく普通の車より楽に前に出られる車が欲しい・・・とひじょーーーーに思うようになる。このころは,スカイラインであればGTSなども出て,走りを印象づけるようになってきていたが,当然そんな高価な新車を買うような金はどこにもない。
 そうなると選択肢はライトウェイトスポーツしかない・・・ その当時まだFFファミリアは人気があり,ツーボックスならファミリア!みたいなものがあった。調べてみるとファミリアにもターボモデルがあり,けっこうたくましい走りをしてくれるような評判。相場は30〜50万。フルフラットになるシートでサンルーフから星空を見上げると幸せだろうな・・などと勝手に妄想にふけながら,マツダにつとめる親戚のおじさんを通じて捜してもらう。
 長崎市内のマツダのディーラーに,黒のターボXG−R サンルーフ付きがあるらしい。まだしゃきっとしたボディーでインパネのターボランプが点くとホイルスピンを起こして加速していく。『これじゃ! 背中に感じるこのGがないと車に乗っている意味がない!!』と勝手に決めて,商談成立。ジャパンは,とにかくしばらく足が必要だという友達に引き取ってもらう。
 ドアが大きく,後ろの窓がこれまで乗ってきた車のように下ろせないので風の流れが悪いという点を除けば,スタイルよし,走りよし,サンルーフ爽快。燃費もうまく走るとリッター15kmぐらい伸びる。信号グランプリではセコまではそう簡単に前に出られることはなかった。幸せ。
 折しも,ハイソカーブームがたけなわの頃,20代も後半になってきた私にとって,もう少しゆったり乗れる車も悪くないな・・・などと心に迷いが出てきたのも事実だった。  車検が切れる頃になったら,大きな車で,そこそこ走りもよく,燃費も悪くないもの,で安いもの・・・という難しい条件の中で車探しをしていた。次なるターゲットが絞られてきた。
 ハイソカーブームでだぶついてきたマークUのツインカム24。いわゆるイーグルマスクと呼ばれる顔の4ドアHT(こんなもんハードトップでも何でもない。ガラス枠無しセダンじゃ)で,最後の詰めに入っていたのであった。

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