My cars historyE

最初のハコスカ

 学生の頃から原付→オートバイ→軽自動車とカーライフをエンジョイしていた私であるが,周りの友達もいろいろな車を買っていた。その中に,前期型の4ドアセダンのハコスカに乗っているのがいた。夜な夜な出かけるドライブで,ときどき私もステアリングを握ることがあった。ほとんど軽しか運転しなかった私にとってこの体験は貴重なものだった。
 何せ360や550からすると,踏めば踏むほどスピードが出るのはこの上なくおもしろい。高速でも捕まるようなスピードでブンブンやったり。(110kmオーバーも,もう時効)
 そんな日々が,働きだして貯金も貯まってくると新たな思いとして甦ってくる。
 以前フロンテクーペを買おうとしているときなどに,中古雑誌を買って読むことがあったけど,その内容はちょっとした今のノスヒロのようなもので,普通車といえば未対策車。軽なら360がほとんどだった。
 ある時買った「自家用車」という雑誌の60年代の車特集のページを見て,そこに出ていたコンテッサのリアを見て『ああああ。見たことあるぞーー 懐かしかー』50系スカイラインを見ては『おおおお うちの下の駐車場に丸かテールのおったぞー』とか,キャロルを見ては『お隣さんがもっとらして,神社まで乗せてもらったぞ。なんかギュルルルーって音のしよったぞぉ』などなど昔の記憶がうっすらと甦ってきて,懐かしさいっぱいに包まれた日があった。
 この日から,古い車に対する特別な感情がわいてきた。それと,就職してちょっと疲れも出てきて,「もう一度あのころのハコスカに乗りたい!」と思うようになってきた。
 
 多分それが今なら,このようなHPを見つけて調べてみたであろう。でも当時はワープロさえまだ普及していなかった頃。頼るのは,自動車雑誌しかなかった。中古自動車の雑誌を買ったり,スカイラインという名前の付いた本をとりあえず立ち読みしたりして物色を始めた。
 そうこうするうちに,地元の中古車雑誌で「ハコスカ HT GTX 極上 70万円」という物件を見つけた。当時にしてみると,底値を過ぎてしまったとはいえ,まだハコスカは10万円で転がっているのもあるような時代だったので,かなり迷った。でも,一応現車を見に行くと,内外装の程度のよさに,『買った』。SUキャブも調子がよく,アイドリングでシフトノブがぶれないほど。
 60タイヤをはいていたので,1割以上まゆつばになるけど,遠出したら一般道ではリッター13kmぐらいまで伸びる経済車だった。
 毎週のように,ワックスを掛けドライブをして・・・独身貴族でのんびりとやりたいことができるカーライフを送っていた。

夕暮れの中で

 ナンバーもとある方法で「2000」番をとろうとしたが,残念ながら逃して「佐世保55 み 2001」になった。(これでも今なら,ちょっと価値がある?)  そのころは,まだ毎年車検で,2回目の車検をとった後から,フェンダーあたりに錆は出てくるし,2ヶ月間にもらい事故を3回も受けるという不幸な時期があった。仕事も転勤の可能性があるし,車を維持していくのに迷いが出てきて,徐々に弱気になってしまった。
 今考えると,非常にもったいないことだが,そんなこんなでついに手放すことにした。
 買った当初にドアをへこまされて,板金に持って行ったときには,店の人に『この車のドアには,全く板金の跡がない。もちろんパテを使ったような跡もない』といわれるほどだった。それほど,前オーナーも大切に乗っていたようで程度のよさが伺えた。(私で3オーナー目だったそうな)
 年度末を迎える前にすっきりしておこうと3月手放すことになった。ちょうどそのころ,知人からジャパンの中古車,車検1年近く残って10万円。パイオニアのグライコ付きステレオもあるよということで,「これは,車を売れという思し召しか・・・」と勝手に解釈して乗り換える決心をしたのだった。

売りさばく最後の日

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