板取金山
  
   「豊臣秀吉天下を平定し貨幣を鋳造するや、盛んに諸国の鉱山を開削せり。」
  と豊臣政権下では金銀山は公儀のもの、すなわち公有主義をとり、諸領主・奉
  行に命じて金銀を運上させた。慶長三年(1598)の蔵納目録に「越前金山五枚五
  両二匁六分、越前今荘黄金山浅野弾正」とある。「今荘黄金山」は南条郡板取
  村の金山のことである。           【福井県史 通史編4より】
 
   また、今庄町誌(昭和3年)には「而して今庄にて精錬したるものは独り当村
  所産のものゝみにあらずして、堺村内に残存せる廃坑より出しものも、蓋し当
  地に於いて精錬したるものなるべし。」とある。
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