日野山の歴史

     日野山には古墳時代、継体天皇とその御子の宣化・安閑天皇の御三方が
    祀られたと伝えられている。
    山頂の奥宮には南社・中社・北社の三社殿があり、中社に継体天皇が北・
    南社に宣化・安閑天皇が祀られていたと伝えられている。
     養老二年(718)泰澄大師によって参道が開かれ、何時のことか中央の社
    殿には文殊菩薩、北社に観音菩薩、南社に不動明王を祀り、 これを日野 
    権現と呼ぶようになった。
    

日野山の概要

  日野山は標高795mの石英斑岩や流紋岩類の岩石で構成され、越前市と
南越前町とにまたがり越前五山の一つに数えられている。

 昔から、この山は色々と呼び名があり小健山、小嶽山、雛ケ岳など、
どれが正しいのか判らないが文化三年に福井藩主 松平重富が登山された
記録が越前国名跡考にあり、それの添付絵図では日野山図としている。

 また、この山は私たちが知る有名な人達によって謳たわれている。
平安時代には紫式部、江戸時代には松尾芭蕉、松平春嶽、現代では与謝
野晶子がその美しさを讃えている。