わが家のアルバムから

おそらくは、昭和20年代初〜中と思われる一枚
ダイハツのオート三輪。ハンドルを握るのは、若かりし日の祖父である。後の話によれば、ケッチンがひどくて苦労したとか。
”ツバサ”250昭和32年頃と思われる1枚
祖父(前列右端)とその工場の人々

バイクは”ツバサ”(後のダイハツ)の250cc
アールズフォーク、縦置き直立単気筒、シャフトドライブはBMWを手本にしたようだ。

乗用車は”Minx”とサイドエンブレムにある。

―父のアルバムより―

その時のもう一枚

”ツバサ”に跨っているのは祖父の義弟

トラックのボンネットには”NISSAN”のエンブレムが

”ツバサ”250とニッサントラック
ラビットS48と私

昭和33年、後にチラッと写っているのは、ラビットS48

S48と父
バンパーには、アポロウィンカーが下がっている。
あー、私も4ストのラビットに乗ってみたい!ラビットS48と父

プリンス?に乗って
祖父の車に乗って・・・ホワイトリボンが
懐かしい!

車は当時ニッサンがライセンス生産していた
オースチンA50ケンブリッジ

S61と私
昭和34年夏、海水浴にてラビットS61で海水浴
『福ひ2253』のナンバープレートが見える。
スクーターに対する想いは、この頃培われたのかも
『おやじ!何でいままで持っといてくれんかったんや』
C92と私ホンダC92に、またがり
得意満面の私

昭和36年

VIPシート付S61
この頃我が家にまだマイカーはなく、ラビットに荷物をいっぱい積み、親子3人で海水浴を楽しんでいた。
ラビットには、私の専用VIPシートが取り付けられていた。
父のCS92
  

丸い目が、かわいいキャブオール(たぶん)     
この時代の車はみんな個性的な顔をしてましたね。キャブオール

こちらは、アップマフラー仕様のCS92
シートには、まだ新車のビニールが・・・(昭和37年)
東京オリンピックの聖火ランナーリレーの模様です。
先導しているのはメグロK1の白バイ。当時の白バイ隊員の格好は、ヘルメットや首のマフラーまるで工事現場のオッちゃんみたいです。


妻の幼かりし頃C100に跨って


こちらは“マツダR360クーペ”の前での1枚
可愛いお目々をしてますナ。えっ、どちらがって?
そりゃ〜、もちろん・・・
マツダ”キャロル”

マツダキャロルです。モノクロでわかりませんが、実際は鮮やかな水色でした。360cc、4サイクル4気筒リアエンジンリアドライブと、当時にしては、凝ったメカでしたが、パワーはあまりなかったように思います。
冬場は、よくバッテリーが上がり、父はプラグを外してストーブで暖めたり、母と私と妹は押しがけを手伝わされたりしました。坂道を下っていると、マフラーにたまった生ガスがバックファイアーを起こし、周囲の人を驚かせてました。

祖父が持っていたプリンス・グロリア・スーパー6

みんなで洗車の図です。

今思い出すと、アメ車的なデザインで風格があってカッコよかったなー

真っ白なシートカバーと、電動ラジオアンテナが強く印象に残ってます。

このページ初の、カラー。
時代はずっと近くなりますが、妻が独身時代に乗っていたR−2です。

本人の希望により、若干ボカシを入れさせて頂きました。
(心霊写真じゃありません。念のため。)

ボディはオリジナル色ではありません、本人の話では、「瑠璃色」が希望だったっらしいですが、実際は「なすび色」だったそうです。
走行中にチェンジロッドが根元から折れたこともあったそうで(怖!)、もとが悪かったのか、はたまた妻の力が強かったのか今となっては謎ですが・・・
『あのポロンポロンという排気音が好きだった』と妻は懐かしんでおります。
じゃ、テントウ虫飼いましょうよ。同じエンジンだから同じような音するし・・えっダメ?!ゴロニャ〜ン