内田のササラ踊り

 内田には松本市内田と、塩尻市内田がある。北内田が松本市へ、南内田が塩尻市に合併したため、分かれている。両内田にササラ踊りが伝承されている。
 かつては、8月7日の七夕ころから常楽寺・法船寺などの庭で輪踊りで踊られていて、16日の送り盆に牛伏寺まで上り、夜を徹して踊られたもという。内田の若い衆は観音堂前の庭で踊り、近隣の村から来た人々は仁王門の脇で踊った。翌日から他の寺院の庭で踊り、23日ころに塩尻市の永福寺まで出向いて踊りを納めたという。踊る場所が、日々動いていくというところに古い姿を覚えるが、詳細はわからない。
 現在の踊りは、中央にやぐらが設けられ、そのまわりを輪踊りの形で踊られている。昭和初期までは、内田盆踊り唄というものがあって歌われていたが、性的な内容が多かったため、昭和11年に歌詞を村民から募集して、内田小唄として30番まで作ったという。

 ササラを持って踊る人は、ササラを立てて節近くを両手で持ち、動かす足の方向へ左右に打ち振ってササラの音を出しながら左回りする。ササラを持たない人は、うちわを持つか、前の人の肩に手をかけるかして足の動作だけで踊るのが基本である。

 由来については不詳であるが、官牧であった内田で、献上馬を都へ送り出す時の身振り手振りがその始まりともいう。その後、牛伏寺信仰と結びつき、献上馬を送り出した日が8月15日であったことから、盆踊りの形をとって大衆化したといわれる。
 平成2年8月14日に訪れた際は、松本市内田では、午後8時に公民館の庭で始まった。浴衣を着た人がたくさんいて、活発に保存活動が行なわれていることがうかがわれた。午後9時に踊りは終わる。
 いっぽう塩尻市内田では、無量寺の境内で踊りが行なわれていたが、踊り手は少なかった。