ため池の音から

 わたしが毎週のように訪れている喬木村のため池は、妻の実家の裏にあるふたつの小さなため池である。背後地はけして広範ではなく、大雨が降ってもそれほど水の流出はない。流域は荒れた耕地と山林のみということで、ここより奥に入り込む人はふだんいない。家から歩いて数分というところにあるため池は、庭から等高線沿いに歩いていくとひとつ目の池の余水吐にたどり着く。その向こうにふたつ目のため池の土手が奥まって見える。洞に沿ってふたつのため池は数枚の田んぼを挟んで並んでいる。

 家の庭でもうぐいすの声は聞こえるが、洞の中ではなく、開放された尾根の先にあるため、さまざまな動物の声が反響することはない。それにくらべるとため池までたどり着くと、三方を山に囲まれているため、動物の声は山に反響する。まるで別世界に来たように感じる。そんな空間で録音したくなるのも当然なのかもしれないが、静寂の中で耳を済ませると、以外にも遠く離れたところにある県道を走るバイクのマフラー音が時折聞こえてくる。車の音が静寂の中にも蔓延していることに気がつく。以前松本市三才山で聞いたことであるが、昔はこんなに音が蔓延していることはなく、自らの体の血の流れる音が聞こえたという。どんなに静寂な世界に陥ろうとしても、そんなコメントをわたしは理解しがたい。それほど音に敏感でなくなってしまっているといえよう。

 バイクのマフラー音にも増して、静寂の中に聞こえる雑音がある。飛行機の音である。東京から大阪といった日本の主要なラインにこの地は入っているのだろうか。以外にも飛行機の往来が激しい。耳を澄ませば済ますほどにそんなことが気になって仕方ないのだ。

 うぐいすの声はさして珍しいものではないが、鳥・カエルといった動物の声を楽しんでいると、時の過ぎるのを忘れてしまう。加えて、上空を抜けていく風の音が、集中している自らの心を通り過ぎていく。それは、何もかも洗いざらいにするように。