城崎村誌(昭和6年)の史跡勝地に遠見番所の記述がある。それには
   遠見番所は米ノ区字佳景ケ崎に在り、此の地一望展開の地なるを以て、
   享保7年、福井藩此の處に遠見番所を設置せり、下の標識今尚存す。
  となっています。
          東 ⇒ 越前国丹生郡米ノ浦鰈崎
          西 ⇒ 享保壬寅七年五月廿七日
          南 ⇒ 此所より同国敦賀郡の内手筒山巳の方當見      
          北 ⇒ 此處同郡下海浦城ケ腰山印杭亥子の間
  
   南の方角に烽火で知られる敦賀郡の手筒山(城)が見えますので、各
  番所が烽火で相互連絡を取っていた事が窺われます。  
  また上記の福井藩士履歴で役人が配置されていますので、その監督指
  示のもと監視業務を行っていたと思われます。
   因みに字名・佳景ケ崎とは「この上ない絶景の崎」と言う意味であ       
  り、この平高見を指している。 吹き上げる日本海の嵐の退避所とし
  てトチナクボ白山神社を使い、そこの湧き水を飲料水として使ってい
  た事でしょう。